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【難波遥氏】感覚に従って突き進む強さの原動力とは?

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直感が研ぎ澄まされていた小学生時代

堂上:今日はよろしくお願いします。この対談は遥さんの過去、現在、未来を一緒に旅をしていく感じで進めていこうと思っています。今日お話しさせていただけるのが楽しみでした。よろしくお願いします。

難波:なんでも聴いてください。よろしくお願いいたします。

堂上:まずは子ども時代のお話を伺いたいのですが、小中学生の時に熱中していたことはありますか?

難波:ドラマを観ることですね。私には兄が3人おりまして、男の子が多かったので家の中がけっこう騒がしかったんです。喧嘩もしょっちゅう繰り広げられていたくらいやんちゃでしたが、私はドラマを見ている時間が好きでした。

堂上:どんな作品をご覧になっていたんですか?

難波:日本のドラマです。なかでも『ブザー・ビート〜崖っぷちのヒーロー』に夢中でした。プロバスケットボールチームに所属する主人公と、バイオリニストを目指すヒロインを中心にしたラブストーリーで、2009年の放送当時にすごく流行っていたんです。この作品に感化されて、中学校ではバスケ部に入りました。

堂上:それほど魅力的なドラマだったんですね。ドラマや漫画の影響で何かをはじめるって良いですよね。

難波:すごくかっこよかったです。私は小学生の頃から明るい性格ではあったんですが、あんまり特徴がない児童でした。多分……(笑)。

堂上:ご自身のことを「特徴がない」と説明する方はめずらしいです(笑)。クラスの中ではおとなしいタイプだったんですか?

難波:ファッション好きの母の影響で派手な洋服を着ていたので、おそらく影が薄いというのはなかったかもしれません。ただ自称、特殊能力がありました。少し喋るとその人の本性が、8割くらい当てられるんです。私が違和感を抱いた子は、のちにトラブルを起こしていたり……。その逆もありましたが!

堂上:面白い能力ですね。今、遥さんのお話しを聞いて、僕も似たような能力を持っていたことを思い出しました。たとえば、電車の中でなんとなく気になる人を見かけると、いつの間にかその人の顔が自分の顔の仮面のように被った感覚になって、その人の頭の中をのぞけた気分になっていました。それを勝手に「カオ憑り現象」と名付けていました(笑)。

難波:すごい! 私より5レベルくらい上をいかれていますね!

堂上:その人と喋るわけではないので、考えていることが当たっているかは分からないけど、そうやって空想するのが楽しかったのを思い出しました。いつの間にか「カオ憑り現象」は起こらなくなったんですけれど。

ポジティブな視点を授けてくれた母の存在

堂上:今の遥さんの原点となるような出来事は、どんなものがあったのでしょうか? 誰か影響を受けた方とか体験はありますか?

難波:母の存在が大きいです。中学校に進学すると同時に、「私が友だちにいたずらした」という噂を流されたことがありました。完全なデマが広がって悲しい気持ちになっていたのです。それを母に相談をしたら、まずどんなに腹が立っても「悪口は言っちゃダメ」と諭されました。そして「人生は何が起こるか分からない。どんなに辛いことが起きたとしても、最終的にはあなたのプラスになるから」と言われたんです。デマを流されるという経験をしたあなたは、今度同じ目に遭っている人を助けられるように成長しているはずだし、この経験も起こるべくして起こっている、と励ましてくれました。

堂上:素敵なお母さまですね。自分の意志を強く持つことを教えてくださる親御さんに育てられて素敵な環境ですね。

難波:つまずきそうになった時には、打開策を提案してくれていました。母のおかげで一見するとネガティブな出来事も前向きに捉えるようになっています。だから、今こうして活動できているのかもしれません。

堂上:素晴らしいですね。僕自身も『キャプテン翼』ですっかりサッカー少年になってしまい、うちの子どもたちも映画やドラマ、漫画の影響をすぐに受けています。高校時代もバスケを続けられたんですか?

難波:高校では陸上の七種競技を始めました。実は高校受験で第一志望に落ちてしまったんです。その時に母の言葉を思い出し、第二志望に入って良かったと思えるように頑張ろうと気持ちを切り替えました。そうして陸上に挑んだのですが、まさかの予選敗退……。運動神経には自信があったので打ち砕かれましたね。それはもう号泣したものです。そこから顧問の先生がほぼ週7日、練習に付き合ってくださり、インターハイに出場するという成功体験を得られました。

堂上:すごい努力をされたんですね。その頑張り力がすごい。

難波:これまでの人生で一番頑張ったものだと胸を張れます。

堂上:努力できる人が成功していると感じます。一生懸命やれる才能ってあるのですかね? なぜそこまで陸上に熱中できたんですか?

難波:応援してくれる方たちの存在が大きかったです。先生が自分のために時間を割いてくれて、母は送迎をしてくれていました。そんなふうに私へ時間を使ってくれているなかで、皆さんの望む結果で返せないのは嫌だという気持ちが原動力になっていましたね。

堂上:遥さんは期待に応えたいという思いが強いんですね。子育て真っ只中である僕は、子どもに対して求め過ぎてしまっているかも、と迷う時があります。息子がサッカーをしているので応援していますが、子どもたちは、すぐにサボろうとして腹が立つこともあります。

難波:私も大会前に逃げたくなっていましたよ。ただ勝ちにこだわる気持ちが強かったんです。どんどん追い込んで、いろんな方から向けられる期待も原動力となっていました。

起業を志したきっかけはフィリピンの短期留学

難波:今回、堂上さんをご紹介いただいた三井さんの周りの方々と一緒に、ラジオ番組に携わっています。「価値観や時代背景が違う世代で対話をしよう」というコンセプトです。

そのなかで発見をしたことが、私はこの2年ほど「まっ、いっか」という言葉を使っていないことに気づきました。手を抜く自分が許せないんです。それが世代特有のものなのか、年齢的なものなのかはまだ分からないところでもあるのですが。とにかく気になることは全部やりたいと思っています。

堂上:三井さんは、僕が新入社員だった頃にお世話になった大先輩です。三井さんに出会わなかったら、僕は博報堂を辞めていたかも、と思うくらいお世話になりました。僕にとても影響を与えてくれた人です。

「まっ、いっか」という言葉を使っていないのは、妥協しないで、なんにでも挑戦しているということですね。素晴らしいですね。

ちなみに遥さんはたくさんの道があるなかで、何をポイントにやりたいことを選んでいるんですか?

難波:直感です。あとは形から入るタイプでもあるので、まずはやってみる。ただどうしても時間は限られているので、選ばないといけない状況になったら、心地よいほうをチョイスしています。

堂上:遥さんのその感覚はとてもよく分かります。そんな直感につながる経験をお聞きしたいです。大学時代から現在のお仕事につながるまでのエピソードを聞かせていただけますか。

難波:はい。実は大学も第一志望に行くことが叶いませんでした。地元の公立大学だったのですが、落ちてしまったので関東の私立大学へ進んだんです。この時ばかりは母に対して申し訳ない気持ちでいっぱいでしたね。

堂上:でもそのまま地元の大学に進学していたら、今ここで会ってなかったかもしれませんよね。

難波:そうなんです。当時もダメージを受けたのは1週間くらいで、そこからは気持ちを切り替えました。進学と同時にアルバイトを5つ掛け持ちし、貯めたお金でフィリピンへ短期留学したんです。この経験が今の活動のきっかけとなりました。

堂上:何があったんですか?

難波:現地で物乞いをしている子どもの姿を目の当たりにしたんです。いかに自分が恵まれた環境で育ってきたのかを思い知りました。同時に人間って怖いなとも感じたんです。

堂上:どういうところに恐怖心を抱いたのでしょう?

難波:日本で暮らしていて「100円あったら飢餓に苦しむ子が救われます」と言われても、実際に募金をする人ってわずかだと思うんです。それは私も含めてです。頭で理解できても、遠い国で起こる問題を解決しようという気持ちはどうしても薄れてしまう。

けれど、過酷な現実を知ったからには、何もしないという選択はできないと思いました。私が直接役に立てる可能性は低いかもしれないけど、力になれる立場になりたい気持ちが芽生えたんです。それと同時に、就職するという道はなくなりました。

堂上:今まで当たり前と思って過ごしていたことが大きな転機につながって、一気に人生の道筋ができたんですね。

難波:はい。また、それはボランティアではなく起業という形で携わりたいとも考えたんです。もし私が投資家になって金銭的余裕があるなら、ギブ&ギブはできます。でも私にも生活があって、組織を作ったら同僚や部下もお金を稼がないと、今の時代は生きていけないという現実があります。だから、資金のない今の自分にはボランティアでの継続的な支援や活動は厳しいなと思ったんです。もちろんやり方は人それぞれだと思いますし、ボランティアも学業や起業の傍ら参加をすることはありました。

堂上:遥さんの行っている事業内容について教えていただいてもいいですか。

難波:現在は2つの事業を展開しております。1つ目は、地球課題に取り組む、企業や行政の”思想の守り手”として行うクリエイティブ事業です。

堂上:企業や行政のクリエイティブや、手を組んで事業支援を行っていくイメージですか?

難波:そうです。たとえば、「TEAM BEYOND」というパラスポーツを通じて、みんなが個性を発揮できる未来を目指すTOKYO発のチームがあります。そこから若者にパラスポーツを啓蒙していくための企画を学生と考えて実施していきたいというお話がありました。15人くらいの学生とアイディアを出し合って「パラスポーツカフェ」という形にしました。

堂上:企業や行政が抱える悩みを解決する策を練っていく感じですね。私たち広告会社の企画立案に近いものがありそうです。

難波:そうですね。おかげさまでこれまで様々な分野で実績を積むことができました。「ソーシャルクリエイティブ事業」という名で活動しているのにも理由があります。社会課題に取り組む企業もたくさん存在するなかで、“活動が続くこと”が解決への近道ですよね。そのためには企業の思想をしっかりと、世の中になるべく相違なく伝えないといけない。その発信のお手伝いをしています。

堂上:私たち博報堂のミライの事業室も、社会課題を解決する事業を共創していっています。脱炭素事業や、このWelluluもウェルビーイング産業を育成する事業としてやっています。2つ目の事業はどんなことをされているんですか?

難波:AIにまつわる新規事業です。リリース前ではありますが……学生と手を組むなかで、熱い想いは持っていても実力がまだまだ伴わないケースを多々見てきました。ただ、彼らはデジタルネイティブという、これまでの世代とは全く違ったすごい強みを持っています。そこで、AIのプロンプトとビジネススキルが磨かれる教材を、無料で提供しています。「eラーニング」で学習をしてもらうことによって、その過程や結果を全てスコア化します。そのスコアリング情報を基に、企業やお仕事のマッチングをするサービスになります。

堂上:社会人も参加できますか?

難波:はい。現在では月額1,000円程度でのご提供を考えています。

堂上:リスキリングしながらマッチングもしてもらえるって画期的ですね。今後『Wellulu』ではAIの力を使っていくことも考えています。いつか遥さんの事業と手を組むことができるかもしれませんね。

難波:ぜひぜひ! どんどん可能性を開拓していきたいです!

時間に縛られない生活がウェルビーイング

堂上:ウェルビーイングの文脈でみなさまに聞いているのですが、遥さんはどういう時にウェルビーイング、心地よさを感じますか?

難波:自分の時間を自分でコントロールできていると思える時ですね。3日前にInstagramのストーリーにもアップしたんですけれど、心地よい気温の中で風に吹かれながら道を歩いていたら満たされてきて。「幸せだー!」って叫びたくなったんです。木々が揺れる状態や美しい空を眺めていたら、そんな気持ちが込み上げてきました。

堂上:すごい。日常の中で、幸せな気持ちが降ってきて、それを身体全体で表現したくなっている。

難波:ただ、それって仕事や時間に追われている状態では起こらないんですよね。タスク処理がきちんとできていて、明日のスケジュールも見えている。さらには大自然の中に身を置く予定もある。そのくらい整っていないと感じられないです。

堂上:もしかしたら遥さんはご自身を俯瞰で見られていて、今この状態がめっちゃハッピーだって分かるようになっているかもしれませんね。

難波:そうですね。自分の感情を俯瞰して見ていることは多いです。

堂上:ミヒャエル・エンデの『モモ』って読んだことありますか?

難波:実家にあったものの読んでないです。

堂上:機会があったら目を通していただきたいんですけれど、「時間どろぼう」が出てくるんです。現代のウェルビーイングを阻害する要因のひとつに「締め切り」という概念もあります。

先日、Welluluでお話しを聞かせていただいた岐阜にあるヤマニパッケージという会社には、時計がないんです。なぜかと聞くと「ディズニーランドには時計がありませんよね? 人は夢中になっていると、時間を忘れてる」と。なので、ヤマニパッケージさんでは仕事を楽しんでもらえるように時計を置かないようにしているそうなんです。

難波:すごい! オフィスでやりたいです!

堂上:僕も仕事において時間に追われるのを辞めたくて、時計をしていません。時間を守ることは大切ですが、忘れた瞬間にふっと何かが降りてくる感覚もいいですよね。遥さんは無意識に時間をマネジメントできていそうです。

難波:人として幸せじゃないかもと感じたら、大丈夫な程度に放っぽります。絶対にやらなきゃいけないことはやって、あとは一瞬だけ忘れます。意識しないと根詰めちゃうので。

堂上:未来において、これから先にどういう状態になっているか、どんな社会になっているといいなという希望はありますか?

難波:以前は世界を変えるくらいの気持ちだったんです。もちろん今もその気持ちは忘れていませんが、まずはお世話になっている方々に、私と出会えてよかったなと少しでも感じていただければいいなと思っています。その気持ちがあれば、その輪がどんどん幅を広げていくような気がしています。あとは時間に囚われない暮らしをしたいので、30歳くらいまでは頑張って、それ以降はゆとりを持った生き方をしたいです。富士山が大好きなんですが、そういう自分がいいなと思うものに囲まれて生活をしたいですね。

堂上:僕も富士山が大好きで、年に3度は富士山が見える場所にキャンプへ行きます。朝、鳥のさえずりを聴きながら起きられるって最高ですよね。でも、僕は今30歳を超えた遥さんの姿が見えました。そうは言いつつも走り回ってそうです(笑)。

難波:そうなんです。私もそう思ってます(笑)。

堂上:ちょっと似ているなと感じたのが、僕は35歳で会社を辞めようとしていたんですね。45歳でも考えて、48歳になった今、まだここにいます。そのたびに自然の中で自給自足をして悠々自適に過ごしたいと言っていたんです。でもやっぱり仕事が楽しくて、今もこうしています。遥さんもそうなりそうだなぁと思いました。

難波:たぶん、そんな気がします(笑)。

堂上:今日は楽しい時間をありがとうございました。つないでくださった三井さんに感謝ですね。遥さんのビジネスと未来、私たちも一緒に共創できると嬉しいです。ぜひ、これからもつるんでください。

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